五十路の心変わり ―― “損な取引”と思い定めた女が見出したもの
「結婚は、女にとって損な取引でしかない」――そう思い定めて五十を越えた女が、妹の涙と笑い、そして自らの半生の中に、損得では測れぬ縁の値打ちを見出すまで。中高年の「心の変わり時」を、静かな一篇の物語に託してお届けします。
「損な取引」と思い定めた女
この女、名を高原 美和子(たかはら みわこ)という。歳、五十一。話を急ぐ前にまず言っておかねばならぬのは、この女が、若いころから一貫して「結婚などというものは、女にとって損な取引でしかない」と思い定めていた、ということである。
なぜそう思い定めたか。これには、それなりの来歴がある。
母への反発と、独りの半生
美和子は、大阪の下町に生まれた。父は気性の荒い男で、母は生涯その尻に敷かれ通した人であった。母は、若いころは看護婦になる夢を持っていたというが、嫁に来てからは一度もその話を口にしなかった。美和子が物心ついたころには、母はすでに、夫の顔色を伺うことだけが日課になっているような女であった。もっとも、これは美和子ひとりの感じ方であって、母自身がそれを不幸と思っていたかどうかは、また別の話である。
余談だが、筆者はこうした母娘の組み合わせを、しばしば見てきた。母の生き方を反面教師として、娘がまったく逆の道を選ぶ。これは、珍しいことではない。ただ、美和子の場合、その反発が人並み以上に強かった、ということは言えるだろう。
美和子は、大学を出たあと、繊維関係の商社に勤めた。仕事は性に合っていたらしく、三十を過ぎるころには、部下を何人か持つ立場になっていた。縁談は、これまでに幾度となくあった。だが、そのたびに美和子は、これを退けた。退けた理由を、当人はこう説明する。「結婚したら、女は損をする。家のことも、子のことも、たいてい女に押しつけられる。それに、うちの父のような男に当たったら、目も当てられん」。この言い分に、一理ないとは言えぬ。世間には、たしかにそういう夫婦も、少なからずあった。
こうして美和子は、独りのまま四十を越え、五十を越えた。
妹・悦子の涙と笑い
ここで、話は少し脇道へそれる。
美和子には、三つ違いの妹があった。名を、悦子(えつこ)という。悦子は、姉とは対照的に、早くに嫁ぎ、二人の子を育てた。この妹の暮らしぶりを、美和子は長らく、いくぶん憐れむような目で見ていた。「悦子は、自分の時間というものがない。可哀想に」と、美和子はよく口にしたものである。
ところが、である。
美和子が五十を越えたある年、悦子の長男が、大学を出て就職し、独り暮らしを始めることになった。その送別の席に、美和子も呼ばれた。悦子は、息子の荷物をまとめながら、涙をこぼしていた。「寂しいなあ。でも、ここまで育ったんやから、まあ、よかった」。悦子はそう言って、笑った。
美和子は、この妹の涙と笑いを見て、妙な感慨にとらわれたという。悦子の顔には、疲れの跡が刻まれていたが、その疲れの奥に、何か美和子には持ち得なかったものが、たしかにあった。それが何であるか、このときの美和子には、まだうまく言葉にできなかった。
もっとも、人の心境というものは、一つの出来事だけで大きく変わるものではない。美和子の場合も、これはあくまで、きっかけの一つに過ぎなかった。
もろい足場
その後、美和子の勤める商社が、大きな組織再編にあった。長年勤めた部署がなくなり、美和子は畑違いの部署へ回された。仕事のやり方も、付き合う相手も、一変した。この変化のなかで、美和子は初めて、これまで自分を支えてきたのが「仕事」という、案外もろい足場であったことに気づいたという。
「会社は、わたしを守ってくれるわけやない。結局、最後まで一緒におってくれる人間が、要るんやな」
これは、美和子がある晩、独りの部屋で、ふとこぼした言葉である。誰に言うでもない、独り言であった。だが、この独り言が、五十一年の間に固まっていた美和子の考えに、はじめてひびを入れたものらしい。
損得では測れぬもの
ここで、美和子の変化を、いささか丁寧に見ておきたい。
美和子は、それまで「結婚」や「子を持つこと」を、もっぱら損得の勘定で測ってきた。損か得か。手間がかかるか、かからぬか。この勘定高さは、母の生き方への反発から生まれたものであり、決して的外れなものではなかった。ただ、この勘定には、一つ、抜け落ちているものがあった。それは、悦子の涙と笑いのなかにあったような、損得では測れぬ何かである。
美和子は、五十二の歳になって、初めてこのことに思い至った。もっとも、思い至ったからといって、すぐに何かが変わるわけではない。この歳から結婚し、子を持つというのは、現実には容易なことではないからである。
ただ、美和子のなかで、確かに変わったものがあった。それは、これまで見向きもしなかった、伴侶を持つという生き方そのものへの評価である。
「思うたときが、そのときや」
美和子は、この心境の変化を、悦子にだけ打ち明けたことがある。悦子は、しばらく黙って聞いていたが、やがてこう言った。「お姉ちゃん、遅いも早いもあらへんで。思うたときが、そのときや」。この妹の一言を、美和子は生涯忘れなかったという。
その後、美和子がどのような道を歩んだか、これは詳しく語る紙数がない。ただ、五十を過ぎてから知人の紹介である男と知り合い、静かな付き合いを重ねているということだけは、書き添えておきたい。この男との縁が、どのような形に落ち着くか、それはまだ誰にも分からぬ。
ただ、一つだけ、はっきりと言えることがある。美和子という女は、五十一年かけて「損な取引」と思い定めてきたものの中に、ようやく、損得では測れぬ値打ちがあることを見出した。これは、遅すぎた発見であろうか。筆者は、そうは思わない。人の心の変わり時というものは、当人の歩んできた道のりの分だけ、それぞれに違う。美和子の場合、その時が、五十を過ぎてから訪れた。ただ、それだけのことである。